カテゴリ:昔のはなし( 16 )

昨日の夜は、とんでもない寒さだった。

「あまりに寒くて台所に立ちたくないでござる」
心の中でつぶやいて、ばんげの支度をした。

ばんげ ?
ゆうげの間違いじゃないの ?
おそらく、ほとんどの方がそう思われるかもしれない。
が、うちの実家の辺りではそう言っていた。

と言ってもそれは、私がごく小さい頃のはなし。
両親・・・父は言わなかったと思うし
母がそう言うのを、いままでいちども聞いたことがない。
たぶん、年寄りたちが言っていたのが
記憶の底にあったのだろう。

昨日は、思いがけない雪だった。
降る降ると言っても、どうせ茨城県南のことだし
それほどのこともないだろうと思ったら
結構な降りになった。

小さい頃の、雪にまつわる思い出はいくつかある。
雪のために早く帰ってきたか、休んだかした祖父が
大きな雪だるまを作ってくれたこと。
降り積もった雪の上に落ちた、椿の紅い花と
緑の葉っぱに積もった真っ白な雪。
かまくらを作ろうとしたけれど、そこまでは雪がないので
あきらめたこと。
ひざのあたりが、ぼこっとふくらんで出てしまうのが
どうしても嫌で、絶対にズボンをはかなかったこと。
それから・・・

11月の積雪は54年ぶりと聞いて、いろいろと思い出した。
こんな時に思い出すのは、なぜか日常の些細なことばかりだ。
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by mitzi156 | 2016-11-25 05:57 | 昔のはなし | Trackback | Comments(2)

船歌

それはこだわりとか、そういうことではなく
純粋に味のためにだったと思うのだが・・・

もう40年以上も昔のことだから、大昔の話だ。
上水道は村内全域に整備されていたが
当時、わが故郷の村は(って、現住所の隣町だが・爆)
水道水の質があまりよくなくて、かなり塩分が含まれていた。

田舎の村でも洗濯機が珍しくもなくなりはじめた頃だったが
その塩分の多い水道水のせいで、洗濯機は2〜3年もすると
サビが目立つようになっていたものだった。

慣れもあってか、飲んでみても塩分は気にならなかったが
出かけた先でお茶や水を飲むと、甘さを感じたから
やはりしょっぱかったのだろう(汗)

その頃、私の家には大叔母夫婦が別棟で同居していた。
祖父の妹である大叔母は、夫の出征中は子供たちとともに
実家に身を寄せていたのだが、戦地から戻った大叔父も
そのまま、妻の実家で暮らしていたのだ。

私が小3の頃に大叔母が亡くなると、義大叔父は娘夫婦に
引き取られていったが、私が幼稚園に入るまで
大叔母夫婦には本当に面倒をみてもらった。

うちには年寄りがいて、両親は家のことと農作業に追われていたから
大叔母のところには、毎日のように行っていた。
用足しに出かける、義大叔父の運転する車に乗せてもらって
村内を、あちらこちらと出かけて歩いた・・・のを
いま思い出した。

いや、完全に忘れきっていたわけではないのだが
40年以上も昔の、いまとは別世界のようだった暮らしのことは
記憶の海の底に、深く沈んでいたのだ。

私がどこへ行くというのでなく、ただ車に乗せてもらって
出かけるのが好きなのは、その頃の楽しい記憶があるからなのだろう。

義大叔父の用足しのひとつに、水汲みがあった。
懇意にしていた、利根川の渡し船の船頭さんにお願いして
利根川の真ん中で、水を汲ませてもらうのだ。

家の井戸は渋水だとかで飲用に適さなかったから
早くから水道を引いてはいたが、お茶がまずいからと
(大叔母夫婦のところは来客が多かった)
定期的に、船頭さんのところに出かけていた。

たしかに、大叔母のところで飲むお茶はおいしかった気がする。
私が飲んだのは、白湯だったかもしれないが
その辺りはさだかでない。

アシの茂った岸辺、砂地のところにあった船着場と小屋。
たまたまそれは天気の悪い日だったのか・・・
私の記憶の中の船着場のある風景というのは
アシや雑草は緑色だが、それ以外は人もなにもセピア色だ。

船着場は、とうにない。
あれがどの辺りにあったのか・・・実家の母に聞けばわかるだろうが
思い出すたびに、今度聞こうと思いはしても、忘れてしまって
そのままになっている。

郷土史など読めば、渡し船がどこにあったかわかるだろうけれど
このままでいいような気もしている。

・・・と、ここまで書いたら昔NHKの名曲アルバムで聞いた
舟歌という曲を思い出した。
あれは誰の曲だったか。














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by mitzi156 | 2015-05-24 09:07 | 昔のはなし | Trackback | Comments(2)

血や肉になるもの

「血や肉になるもの」「体の調子を整えるもの」
それから「力や熱になるもの」
学校給食の献立表の材料欄は、この3つに分かれていた。


私がこの冬、寒くて寒くてしかたがないのは
やせたから(微苦笑)だと思っていた。
もちろんそれはあるだろう。

あるだろうが、それだけではないのが昨夜わかった。
肉が、肉が足りないのだ(爆)
血や肉になるものが足りていないのだ。

私はもの心つく前の「丸焼け肉」のタタリでトラウマがある。
そのせいで、肉はずっと「嫌い」だった。
肉を食べるようになったのは大人になってからで
美味しいと思うようになったのは、40過ぎてからだった。

だが、年を取れば好みも変わる。
いまの私は、別に肉を食べなくても平気。
そんなふうだから、意識しないと肉を全く食べない日が続く。

やせるのは難しいから、せめて増やさないためにと
揚げ物もグッと減らしたから、アブラの摂取量も減った。
薬の副作用で胃をやられて、あまり食べられなくなったせいもあるが
最近はあまり食べたいとも思わなくなっていたのだ。

私が毎日摂るアブラやタンパク質は、朝のトーストのバターと
週に数回焼くケーキ1切れ、3〜4杯飲むミルクティーの牛乳ぐらい。

ミルクティーに使う牛乳は、1日50cc以下。
バターは、トーストとケーキを合わせても20gぐらい。
卵も毎日は食べないから、ケーキに使われたものを合わせて
週に3〜4個ぐらいか。
魚はアレルギーが出ることもあるので、あまり食べない。
時々食べるのはイカやまぐろ、ちりめんじゃこ、ツナ缶、かつぶしなど。

なにを食べているのかというと、米と野菜と豆腐などの大豆製品が主。
・・・そりゃあ寒いわ。
力や熱になるものを食べていても、血や肉になるものが少なかったら
燃料少なくて火が燃えない・・・・・・。

昨夜のごはんはハンバーグだった。
あまり食べたくなかったが、私も小さいのをひとつ食べた。
付け合せは、チーズたっぷりのマッシュポテトグラタン。

食事のあとは体があたたまるが、昨夜はいつまでもあたたかさが続いた。
いまも、少しも寒くなく・・・はないが、いつもとは少し違う。

肉だ肉 !
肉も食べなきゃ(笑)
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by mitzi156 | 2015-02-16 01:38 | 昔のはなし | Trackback | Comments(2)

ミシンでダダー

コンシールファスナーという文字を目にしたとたん
頭に浮かんだのは、家庭科の授業で作ったスカートだった。

それは中1の時で、私が作ったのはフレアースカート。
基本の型紙はボックスプリーツのスカートで
付属としてフレアースカートなどの型紙もついていたのだった。

なぜ基本形のボックスプリーツにしなかったかというと
ダーツだのヒダを作るのが面倒だったからで(笑)
布を裁ってミシンで縫うまでは、初心者でも難しいことはなかった。

しかしながら。
仕上げで泣きを見た。
家庭科の授業なのだから、全部ミシンでダーッとはいかなくて
裾は手でちくちくとまつり縫い・・・。

フレアースカートの裾は曲線だから、縫うにはちょいとコツがいるし
おまけに縫う距離(笑)が長いのだ。
面倒を避けたつもりで、根気のいる作業を選んでしまったというオチ。

中2ではブラウスを、中3ではパジャマを作った。
ちなみに小6の時は、フリンジ付きのテーブルセンターだった。

そういえば娘は ?
娘たちは家庭科、いやさ技術家庭でなにを縫ったのだっけ ?

小6の時はナップザックで、中2がトートバッグで(中1かもしれない)
・・・・・・ゆとり ? (爆)

いや、男子も一緒に家庭科の授業をうけるようになったから
・・・だろうか。
いやいやいや、それだけではあるまい。
履修時間の問題もあるのだろう。

週休二日制になって、そうでなくても時間が足りないし
行事やなにかで、真っ先につぶされるのは音楽や美術や
技術家庭の時間ときている。

時間も場所もとる大がかりな縫いものは、無理。
ということなのかもしれない。
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by mitzi156 | 2014-03-27 19:26 | 昔のはなし | Trackback | Comments(8)

役に立つかどうかじゃなくて興味があるかないかが私には

長いタイトルだ(笑)
「私には」と書いたけれども、私だけではないと思う(確信)

先日、ひょんなことで話が弾んだ。
弾んだというより脱線のほうがいいかもしれない。

とにかく話が弾んで脱線して、外タレの話になったのだが
私が、「〇〇の彼女がホニャララと知っていたが名前は覚えていなかった」
しかしながら「〇▽と▽△の彼女の名前は覚えていた」
という事実に、ああやっぱりとひとり深くうなずいた。

・〇〇は「有名バンドのメンバー」で、友人がファンだったから
 印象に残っていた。
 だが私は〇〇自体・・・本人も音楽も全く好みではなかった。
・◯▽と▽△の所属していたバンドは結構好きで
 音楽も本人たちも好きだった。

こういうことなのだな・・・と思った。
私は記憶力はいい。いや、よかった(過去形・・・(´・ω・`))
だから、好きなもの・興味のあったものについては
自然と頭の中に残っていたらしい。

◯▽の彼女の名前がフルネームで出てきたのには
我ながらビックリだったが(・_・;)

そんなだから学校の成績も、社会科はよかったのだが
数学はからきしだった。

社会科は歴史も地理も教科書通りだから、なんの問題もない。
覚えるもなにも好きなことは頭に残る。
数学は、好きではないし理解しなくてはならないから
いつも悲惨なものだった。

いまの私なら。
嫌だキライだと言わずに最初から勉強していれば・・・と
そのキライなものを長引かせなくても済んだのにとわかっている。
キライでもなんでも、追試を受けなくてもいいようにすれば
・・・いやー、若ぇうちはそったことわがんねよな〜〜(笑)

ふいに頭の中にあの歌が流れてきた。
♪こんなこといいな できたらいいな・・・

ドラ◯もんには、みんなの夢が詰まっているのだなあと
私はいま食後のお茶を飲みながら胸をアツくしている。
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by mitzi156 | 2014-02-05 13:03 | 昔のはなし | Trackback | Comments(4)

ひよこちゃん

今日は、出前一丁の45回目の誕生日だそうだ。

はじめて出前一丁を食べたのは、従姉と遊びに行った
祖父の上の妹である大叔母の家でだった。
おやつ代わりにと、こしらえてくれたラーメンの丼から
ほのかにただようごま油の香り。

あれは、私が小学校の1年か2年生の頃のことだから
まだ発売まもない頃だったのか・・・。

従姉と2人で食べたラーメンのあの味は覚えている。
いや、いま思い出した。
それから縁側から見える田んぼと、その向こうの利根川の土手と。

私の家からも利根川の土手は見えたけれど
当時は、まだうちの辺りは耕地整理がされていなくて
その手前にも低い土手が築かれていたから
大叔母の家から見る利根川の土手は、私の家からの眺めとは
また違っていた。

その日、大叔母は私と従姉にと、お揃いの浴衣地を
用意してくれていたから・・・
たぶん、もうすぐ夏になろうかという頃の
梅雨の晴れ間の一日だったのだろう。

白地にさくらんぼの散ったそれは、子供向けの生地だが
子供だましではない可愛らしさのある柄だった。


で、タイトルのひよこちゃん。
チキンラーメンのひよこちゃんである。

ひよこちゃんがリニューアルされた時は、実はガッカリだった。
あの素朴で、ちょっと地味なところが可愛くてよかったのに
目を大きくして、アホ毛を目立たせればいいってもんじゃなかろう
・・・などと憤慨していたのだった。

だがまあ、見慣れてくれば可愛いものだ。

可愛いキャラクターを作らせたら、日本人は世界一と言った人がいたが
たしかにそうかもしれない。
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by mitzi156 | 2013-02-12 13:16 | 昔のはなし | Trackback | Comments(4)

焼きそばと揚げ玉と

子供の頃、近所にあったのは精肉も扱う鮮魚店と
食料品から日用雑貨まで一通りのものがそろっている
いわゆる、よろずやだけだった。

どちらの店も、実家のほんの数軒先だったから
田舎住まいでもそれほど不便を感じたことはなかった。

バスで20分ほどの隣町まで行けば
映画館もスーパーも本屋も、不二家もあって
個人商店の並ぶ商店街には活気があった。

近所に出前をするような飲食店は一軒もなかったから
「出前」とか「店屋もの」という言葉はあくまでも
テレビドラマや本の中のものだった。

私が小学校の5〜6年の頃、近くにラーメン屋が出来て
その年のお盆に親類が集まった時に、初めて出前を取った。
暑さも盛りの頃で、大人たちは冷やし中華だったが
酸っぱいものの苦手な私は焼きそばだった。

家で作るのとも、近所の子供相手の食堂のとも違う焼きそば。
ラードを使ったあの焼きそばの味は、開け放した障子のむこうの
軒下に下がっていたすだれから透けて見えた夏空とともに
いまも記憶にある。

その鮮魚店もよろずやも、ラーメン屋もいまはない。

年寄りひとりに留守居をさせるわけにはいかないから
親子だけで遊山に行くなど、ほとんどなかった。
(ゆ・・・遊山て。すらっと出てきた・笑)
だから外食も、本当にたまのことだった。

昔はファミレスなどなかったから、デパートの食堂とか
町なかの蕎麦屋、中華屋などが多かった。

そう、揚げ玉。
天ぷら屋や蕎麦屋のレジの横に、揚げ玉が並んでいることがある。
初めて見た時にはなぜこんな所に・・・と思ったのを覚えている。

美味しい天ぷらを出す店の揚げ玉なら、間違いないだろうが
最近はなかなか外で蕎麦や天ぷらを食べる機会がないので
どうもご縁がない。

自分では上手く出来ないので、もっぱら市販のものを使っているが
某所(^^)で美しい揚げ玉を見た翌日、ちょうど天ぷらだったので
ついでに作ってみた。

ほんの少し残った衣を菜箸で、なにも考えずパッパと散らしたら
信じられないくらい上手いこといったから驚いた。

これは ! と、調子に乗って衣を作って追加分をと思ったら今度はダメ。
どうも私は気合いを入れるといけないようだ・・・。
私の場合は、衣が残った時にテキトーに作るのがいいらしい。

ともあれお椀に一杯分ぐらいの揚げ玉が出来た。
ひとりのお昼ごはんの、蕎麦かうどんの時に使おう。

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by mitzi156 | 2012-12-21 06:03 | 昔のはなし | Trackback | Comments(2)

冬の朝に昔を思う

昨日は、最近ではめずらしく早く起きられた。
寒いからもうちょっと・・・と思ったけれども
空腹に負けた(爆)

前の晩、夫の帰りがかなり遅くなりそうだというので
早い時間に娘と一緒に晩ごはんを食べてしまったから
夫が帰る頃には小腹がすいていた・・・

しかしながら、時すでに12時近い。
数年前の私なら「お昼だお昼♪」などと言って
夜食を摂っていたに違いないのだが、もうそんなことはしない
イイ大人だもの。(数年前だって大人だったが・爆)

糖尿予備軍の初老アラフィフだもの
そんなことをしたら、エラいことになる。
いっぺんでも夜食なぞしたら、食べるの大スキーな私だもの
習慣になるに決まっている。

荒ぶりかけた胃袋と脳を、お茶でごまかして布団に入った。
空腹で目が覚めるのも道理。

今朝は、双子座流星群を見ようと早起き。
目覚まし時計のスヌーズ機能が活性化する前に布団から出られたが
外はあまりに寒い・・・
あとで動画で見ればいいやと、早々にリタイヤ。
居間はエアコンのタイマーをセットしておいたから、暖かい。

台所は・・・ま、しかたない。
そんな時には、昔々の台所を思うのだ。

私の7つの祝いの直前まで、実家の台所は別棟だった。
冬になると水道が凍ることもしばしばあった。
種火は残しておいたものだが、それでもかまどに火が入るまで
台所(かまや、と呼んでいた)は冷えきっていた。

時代が違うと言えばそれまでだが、あの時代を私は知っている。
贅沢は言うまい。

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by mitzi156 | 2012-12-13 05:48 | 昔のはなし | Trackback | Comments(2)

昔々・・・

昔はよかった。

ついそう言ってしまうことがある。
これは、半分は本当だけれども、半分は思い込みだ。

だが、NHKオンデマンドで大河ドラマ『獅子の時代』の
第1回放映分の、ほんのさわりの1分足らずの映像を見て
昔はよかったなあ・・・と、涙しそうになった。

役者がいい。
俳優陣がみな「役者」なのだ。
一口に武士と言っても、上級から下級までさまざまだが
昔の俳優は、それをきちんと演じ分けていた。

いまはどうだろう。
いや、いまだっていい役者はたくさんいる。
いるのだけれども、制作者側に「時代劇」というものが
よくわからない人間が増えているのだからどうしようもない。

時代劇がだんだん少なくなっていって・・・
暴れん坊将軍が終わり、永遠と思われた水戸黄門も終わり
民放からは、時代劇のレギュラー枠というものが消えてしまった。
これでは、あとが育たなくてもしたがない。

しかしながら。
明治大正どころか、昭和も遠くなったいまとなっては
なんのかんのと文句をつけるのは不当なのかもしれない。

その時代、もしくはその時代の空気を感じさせるものなど
なかなか見当たらなくなってしまった。

私がこんなご託を並べられるのは、その時代の空気を持った人たちと
たとえわずかでも接していたからだ。

誰もいない時に、長火鉢の前で煙草を吸っていた曾祖母。
その曾祖母の着物を洗い張りしていた大叔母。
・・・その辺りはハッキリと記憶にある。

一本歯の高下駄に、黒いマントを羽織っていたという曾祖父や
曾祖母の母の話などは、誰かから聞いた話にすぎない。
とはいえ、江戸や明治大正の空気はかすかに感じられた。

いまうちの娘にそんな話をしたとして、なにひとつピンとこないだろう。
つまりはそういうことなのだ。

昔のように時代劇を作ったところで、若い世代にはなにがなにやら
わからないかもしれないのだから、ヘタなもの言いなど愚の骨頂なのだ。
・・・と言いながら、ついもの申したくなる。
それはトシのせいということで(爆)

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by mitzi156 | 2012-11-12 08:50 | 昔のはなし | Trackback | Comments(4)

オレンジ・ペコ

この前、「朝のメニュー」と書いた時に
ふとなにかを思い出しかけて、忘れた。

それを一昨日思い出した。
あれは、渡辺真知子さんの歌だ。

♪朝のメニューは 今日もまた・・・

たしかあれは「少し焦げ目のトースト」と
「たっぷりミルクのオレンジペコ」だった。
それから「失敗作の半熟玉子」と、あとはなんだったか・・・
なにしろ30年以上前の曲だから、もう記憶もおぼろげだ。

オレンジペコとの出会いは、小学生の頃だった。
頂き物の紅茶の詰め合わせの中に、それはあった。
当時私が美味しいと思ったのは、アッサムとオレンジペコ
それとアールグレイだった。
ダージリンはあまり美味しいと思わなかった。

いまひとつオレンジペコで思い出すのは、一条ゆかりさんの漫画。
『ティータイム』

たしかりぼんに連載されていたもので、ストーリーは・・・
いま思うと、よくぞりぼんという少女漫画誌に掲載されたなと
・・・いや、それを言ったら砂の城もデザイナーもそうだけれども
この『ティータイム』は結末がほほえましかった。
悲しい結末でなくて本当に良かったと思ったのを、いまも覚えている。


最近、古い話を思い出すきっかけがあちらこちらにある。
ちょっとしたことが、いっぺんに記憶を呼び覚ますのだから
おかしなものだ。

これはなにか理由があるのだろうか・・・とも考えたが
秋だから、のような気もする。
やはりもの思う季節なのだろう。

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by mitzi156 | 2012-10-19 04:23 | 昔のはなし | Trackback | Comments(10)


日々、平安であれかしと願いつつ・・・。※出会い系・営業系のコメントは削除させていただきます。悪しからずご了承ください。禁・無断転載。


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