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日々平安

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日々、平安であれかしと願いつつ・・・。※出会い系・営業系のコメントは削除させていただきます。悪しからずご了承ください。禁・無断転載。

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Memory

阪神大震災から19年。

その年の秋に父が亡くなったから
「阪神大震災」と「父の死」が、私の中で対になっているようで
どちらか一方を思い出せば、必ずもう一方を思い出す。

その同じ年のその月・・・1995年1月には
ヘタな友人より、ずっと親しい付き合いだった同僚のひとりが
家庭の事情で突然職場を去っていった。
いつも明るく元気だった彼女の、笑顔の陰の悲しみを
私たちはなにひとつ知らなかった。
 「ミッツィさんといるとホッとする。
  ミッツィさんはよけいなことは言わないし聞かないから」
「その日」の一週間ほど前、彼女はいつもの笑顔でそう言った。
その時の情景は、いまも映画の中の一場面のように浮かんでくる。

その翌年、1996年1月。
道を渡る時には、いつも左右を確認していたはずの猫のタローが
交通事故で虹の橋を渡った。
その前後のことを思う時、最初に浮かんでくるのは
泣きはらした顔で出勤した私を見た、職場の同僚達の顔だ。
なかでも、最年少のOさんの驚きと戸惑いが一緒になった顔は
思い出すたびに申し訳ない気持ちになる。

その職場もいまは、ない。
私が退社したほんの2、3年後にその店は閉店した。
書店業以外の、元からの業務が不振で倒産してしまったのだった。
チェーン展開していた書店業は良好だったのだが・・・
職場がなくなると聞かされた時の気持ちはなんともいえない。

昔ならマル高といわれた年齢での出産だったので
なにがあるかわからないから、大事をとって退社したのだが
子供が幼稚園に入ったら、短時間のパートで戻る予定だった。
20代前半からの10数年間を過ごした場所がなくなるというのは
故郷の小学校が廃校になると知らされたような、というか・・・
なんとも言えない寂しさが広がっていったのを覚えている。

1995年の1月から1996年の節分の頃までの記憶は
鮮明なようなおぼろなような・・・
すでに20年近く経っているのだから、細かいことは
忘れていても不思議はないが。

そうでなくても、人は忘れることで平穏に生きている。
悲しみも苦しみも、時とともに薄らいでいくけれども
完全に忘れ去ることは決してないだろう。

どうか人々が(私も含めて)、つらいことはできるだけ記憶の海に沈めて
心穏やかに前を向いて歩んでいけますようにと願う。
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by mitzi156 | 2014-01-17 15:30 | 日常 | Comments(0)