2011年 01月 26日
そうだった、そうだった・・・
牡丹と萩に頂いたコメントを読んで思い出した。
昔は盆・彼岸などの特別な時でなくとも、物日には
お墓だけでなく、神社や道ばたのお地蔵さんなどにも
お供えをしたものだった。
きょうびは、昔のように奉仕的に神社やお墓の
見回りや掃除をする人も少なくなってしまったから
どの家でも、お供えは形程度のものになってしまったけど。
そうして、そんな時期には、きまって墓地や神社などに
見慣れぬ人がやって来た。
うちは地域の共同墓地の近くだったので、よくそんな人を
見かけたものだった。
周りには家も田畑もあるから、人の目は常にある。
でも、誰も決してその見慣れぬ人には声もかけないし
見て見ぬふりをしていた。
私が子供の頃は、今のホームレスとはまたちょっと違う
乞◯と呼ばれる人がまだいたのです。
そういう人達が、お供えを目当てに来ていた。
混ぜご飯やぼたもち、果物、食べ物だけでなく、タバコや酒。
しばらくの間、それで凌ぐために。
それとは別に「神様や仏様のお下がりを頂くと病気をしない」と
言われていたので、体の弱い人や持病のある人などが
お下がりを頂きに来る・・・というのもあったらしい。
今も、ホームレスの人がやって来る事はあると聞く。
でも世知辛くなったというかなんというか・・・
そんな人に飲み食いさせるのは嫌だと言って
煙草は封を切って、酒は栓を開けてからお供えして
食べ物はお供えしたら持って帰る・・・というお宅もあるとか。
ただ、今時の霊園などは「お供えは持ち帰りましょう」という
規則があるそうだから、それは仕方がないのかもしれない。
昔は良かった・・・とばかりも言えないけれど。
今より、もっと心のゆとりと優しさがあったように思う。
昔は盆・彼岸などの特別な時でなくとも、物日には
お墓だけでなく、神社や道ばたのお地蔵さんなどにも
お供えをしたものだった。
きょうびは、昔のように奉仕的に神社やお墓の
見回りや掃除をする人も少なくなってしまったから
どの家でも、お供えは形程度のものになってしまったけど。
そうして、そんな時期には、きまって墓地や神社などに
見慣れぬ人がやって来た。
うちは地域の共同墓地の近くだったので、よくそんな人を
見かけたものだった。
周りには家も田畑もあるから、人の目は常にある。
でも、誰も決してその見慣れぬ人には声もかけないし
見て見ぬふりをしていた。
私が子供の頃は、今のホームレスとはまたちょっと違う
乞◯と呼ばれる人がまだいたのです。
そういう人達が、お供えを目当てに来ていた。
混ぜご飯やぼたもち、果物、食べ物だけでなく、タバコや酒。
しばらくの間、それで凌ぐために。
それとは別に「神様や仏様のお下がりを頂くと病気をしない」と
言われていたので、体の弱い人や持病のある人などが
お下がりを頂きに来る・・・というのもあったらしい。
今も、ホームレスの人がやって来る事はあると聞く。
でも世知辛くなったというかなんというか・・・
そんな人に飲み食いさせるのは嫌だと言って
煙草は封を切って、酒は栓を開けてからお供えして
食べ物はお供えしたら持って帰る・・・というお宅もあるとか。
ただ、今時の霊園などは「お供えは持ち帰りましょう」という
規則があるそうだから、それは仕方がないのかもしれない。
昔は良かった・・・とばかりも言えないけれど。
今より、もっと心のゆとりと優しさがあったように思う。
by mitzi156
| 2011-01-26 01:10
|
Comments(0)